桜の花びらもすっかり散って葉が蒼々と茂り、夏の訪れを感じはじめている昼間とはうって変わって、朝夕はまだ少し冷える。
すっかりと日も沈み、提灯の火を持って歩く武士が足を止めたのは、左近衛府少将の屋敷。
左大臣の使いであると家の者に伝えると、ほどなく門が開く。
神子の使いで来ることの多い橘邸の庭は、勝手知ったるなんとやら…、頼久には案内の必要はない。
「友雅殿、神子殿の使いで参りました」
懐から文を出すと、ふわりと友雅の白い手があらわれて、香の薫りが文を持っていった。
「物忌みかな?」
文を開く前に言い当てる友雅は、
「頼久もご苦労だったね」
と使いの頼久に労いの言葉をかけた。
「いえ、私にそのような気遣いは不要です」
そんな頼久の言葉も聞いているのかいないのか、友雅は部屋の奥へ行くと、手紙を置く代わりに酒を持ってきた。
「一献、どうかね?」
「使いの最中ですので」
頼久はそう断るが、友雅は廊下に腰を降ろす。
「宵の口に来たのなら、尚の事だと思うのだが?」
「・・・・・・・・・」
宵の口に使いで来ているのなら、一献付き合うのも使いの内だと、そう申されるか。
「頼久も座りなさい」
そう言って友雅は自分の隣を指でトントンと叩いた。
「―――」
武士風情が上がって良いものかと、否、無視して一段下に腰を降ろそうかとも思ったが、付き合うというのはその辺もすべて総合して付き合うということではないか。
頼久はしばらく考えて具足を外した。
「では失礼して」
さすがにそれは断られるだろうと思っていた友雅は、一瞬眉を上げたが微笑んだ。
「今宵はね、誰かとこうやって交わしたいと思っていたのだよ」
「私では相手に不足かと」
徳利を傾ける頼久の即答に、吹き出した友雅の指が酒で濡れる。
「これは、失礼いたし――」
「あぁ、いいんだよ。・・・・・・――私はね、今まで人恋しいと思ったことは無かったんだ。人は勝手に来て、勝手に行く。居ても居なくてもどちらでも良かった。否――、どちらかと言えば一人が良かったかな
友雅の口元は笑みのままだが、どこか寂しそうにも見えた。
「・・・・・・?」
友雅といえば、いつも周りに人が居るように思っていたし、それが良いのかと思っていたのに違ったのだろうか。
「八葉になってしばらくは、正直馴れ合いは御免だと思ったよ。だけど不思議だね。今はそれを楽しいとすら思う。一人で居る時に、何故かひどく孤独を感じることがある」
友雅は唇を濡らして再び口を開いた。
「空虚、とでも言おうか」
友雅の声が宵闇に溶けて消える。
頼久は返す言葉を持たない。
「ただね。一人の夜も不思議と楽しみなのだよ」
「・・・・・・?」
空虚だというのに?
「明日、皆がどんな表情を私に見せるのか・・・・・・幼い子供のように未来に期待するなんて―――ね」
今までと正反対のことを言っている自分が可笑しい。だが、本心では実はずっと思っていたのではないかと思う。
それをずっと、自分にすら隠してきたのではないかと。
「私はね、頼久」
友雅はそこで言葉を止めて、ちらりと頼久を見る。
頼久はまっすぐな瞳で友雅を見ていた。
「お前を見ているのが一番面白いのだよ」
「・・・!?」
そう、この無表情の中にある僅かな表情が面白い。表情豊かな人より表情の変化が少ない人ほど、見せる表情に誤魔化しが無いのだということを、友雅は知っている。
「馬鹿にしているとか、そういうことではないのだよ。・・・・・・あぁ―――
友雅は何か思い当たったのか、空を仰いで目を細めた。
「惚れている、とでも言おうか」
「何を仰るのですか友雅殿。・・・・・・酒に酔われましたか?」
一瞬戸惑いを見せた頼久だが、友雅の言葉をいちいち本気にしていられない。
「おや、私の告白を酒に飲まれている所為だとでも言うのかい?」
「飲まれています」
切れ長の瞳が更に細く友雅を睨みつけるが、友雅は口の端を上げて素早く頼久の鼻先で蝙蝠を開く。
「っ」
咄嗟に身を退こうとした頼久と、友雅が軽い力で彼の胸を押したのは同時だった。
「大きな犬を寝転がらせるのは一苦労だねぇ」
「・・・・・・・・・」
あぁ、もう酔っぱらいめ。と半ば諦めかけた頼久は、自分に乗り上げている友雅にため息をついて、脱力する。
「夜の遊びといこうか。頼久」