もう一刻ほど走っただろうか。
不意に弁慶は馬を止めて耳を澄ます。
「………」
ちゃんとついてきていますね。さすが景時と言ったところでしょうか。
僕はここにいますよ。
馬の手綱を解いて指示を出す。
「さぁ、行ってください」
その指示に従って馬は思い思いに散っていった。
「―――」
その足音が遠くなるにつれて、馬の軍勢の足音が近づいてくる。
先頭に現れたのは
「……弁慶……」
銃を持った青年。
「君一人が残って何が出来ると言うんだ」
馬上から景時が銃を構える。
「こうして貴方を引き付けるとか」
弁慶は余裕と言わんばかりの笑みを浮かべた。
「……君が盾になっても皆は守れないよ。分かってるでしょ?」
景時は戦友に銃を向けながら、痛々しいほどの感情を押し殺し、震えた声で問う。
「いいえ、分かりませんよ。だって僕は源氏を討ちに来たんですから」
それが成功することは万に一つも有り得ない事だが、言葉にだって力はある。
時間稼ぎの為に、景時を討つことになっても躊躇いはない。
先手の、この一軍の進軍を少しでも遅らせることが出来ればそれでもいい。
「―――時間稼ぎなら、ここまでだよ。そろそろ逝ってくれるかな」
勝ち急ぐのか、死に急ぐのか、景時の冷たい指先が引き金を引く。
銃口が震えて鉛球が放たれた。
雪に覆われた森の中に、銃声が響いた。
景時の乗った馬が一瞬暴れ、 雪の上に倒れ込んだ。景時は咄嗟に馬を降りようとしたが鐙が引っかかって遅れる。
「――!」
左肩に衝撃が走った。
見るとそこには鉈が刺さっていた。それを持つのは弁慶。景時の銃弾は右足に当たっていたようで、袴が赤く染まっている。
弁慶の後ろには弓を構える源氏の軍勢。この距離なら外す筈がない。
「っ」
間を置かず景時の銃口が再び弁慶を狙う。
次は胸を。
否、右肩を。
引き金を引くと、思ったとおり弁慶は左へと動く。
鉈が刺さったままの景時を中心に源氏の軍勢と対峙する。
「っ!」
だが、右腕を撃たれた弁慶は辛うじて距離をとっていた鉈を支えることが出来ずに、銃口が腹部に押し当てられた。
「………もう…逃げたんだね…」
景時の声が耳に入って、はっとした。
「……えぇ」
弁慶がそれだけ言うと、景時は返事の礼とでも言うようにそのまま引き金を引いた。
「……っ」
その後ろで源氏の軍勢も弁慶に向かって矢を放っていた。
その矢が景時の背に突き刺さる。
「っ……!」
倒れこんでくる景時を、足と腹を撃たれた弁慶は支えきれずに、雪の上へと体を沈めた。
折り重なるように倒れた二人の血が、積もる雪を赤く染めていく。
景時は静かに血を流していた。
「―――」
……先に逝きましたか。
鈍色の空を見上げてふと気づく。
雪が……
これで逃げ切れると良いんですけど。
「―――…」
自分が残った意味を果たした弁慶は、急に体中の冷えを感じた。
空に手を翳して、救いを求めるように天を仰ぐ。
その手はどちらともつかない血に染まっていた。
「――……」
こんなにも血に汚れた僕の願いも、天は叶えてくれるのだろうか。
もしも聞き届けてくれるなら――。
「―――」
血に染まった手が、力なく積もる雪の上に落ちた。
雪が、時の止まった身体の体温を奪っていく。
「 」
雪が九郎たちの足跡を消し、頼朝の追っ手を振り切って海へ、そして北の大地へと向かった先には、広大に広がる知らない世界があった。
いつまでもこの世界に望美たちを留めておくわけにはいかない。そう思って、弁慶と景時を待つと言う三人を何とかもとの世界に帰した。
程なくして、この北の大地にも遅い春がやってきた。
雪解けと共に命が芽吹き、花はつぼみをつける。
こんな小さな命さえ懸命に生きようとしている。
いつか散る為ではなく、新たな命へと繋ぐため。
まだ冷たい風に吹かれて、少し切った華やかな髪が揺れる。
その背中を見て、ずっと躊躇っていた敦盛は懐からひとつの文を出した。
「………」