「将臣ぃ――!」
今まで溜まっていたものを吐き出すように片割れの名を呼ぶ九郎。
「な、何だぁ?」
本気で驚いた将臣は、九郎をからかう余裕も無く振り返る。
「先日はすまなかった!これからはよろしく頼む」
将臣の右手を両手で握って、満面の笑みで自分を見上げる九郎に、将臣も釣られるように微笑んだ。
「あぁ。よろしくな」
それからしばらく九郎の手が離れることはなく、将臣も仕方なく九郎が満足するまで付き合ってあげていた。
九郎がどこへ行ったのか気になった弁慶は、こっそり九郎の後を追っていた。その先でたどり着いたのは、将臣のもと。
九郎、なぜ将臣くんと手を繋いでいるんです?
あぁ、将臣くんが羨ましい。あんなこと言わなければよかったかな。でも、九郎が落ち込んだままなんて、余計面倒ですし。これで良い方向へ進んでくれるならいいんですけどね。
……なぜ将臣くんは拒まないんですか?長いですよ九郎、もういい加減離したらどうです?
それにしても、あの九郎はかわいいですね。
将臣くん邪魔です
でも、九郎が幸せならいいかな。なんて思う僕は結構危ないですね。
本当は僕が九郎を幸せにするって言いたいんですけど、九郎を僕に縛りたくはないですし。
「………」
九郎、そろそろ手を離してあげたらどうですか。将臣くんが困っていますよ。否、僕が耐えられませんから。
なぜこういう時に景時は居ないんです?
愚痴をこぼす相手がいないじゃないですか。
まったく、使えない。
そんな風に考えたのがいけなかったのだろうか。
頼朝の軍勢が平泉の地へと攻め上ってきた。
景時は先陣を切って九郎の命を、否、僕たち全員の首を狙ってきている。
―――。
違いますね。
貴方は死を望んでいるはず。
自分だけ死んでもこちらは助からないから、相討ち、もしくは討ち損じて自害するつもりですか。
これ以上皆を苦しめない為に、安らかな未来のために。
見解の相違ですね。
皆を苦しめない為に、希望ある未来の為に。僕は――止めてみせますよ。
一向は、銀世界の森の中を更に北へ向かって駆ける。雪は足跡を残し、導となる。
その導は雪中の逃亡の無謀さを物語っているようだ。
「馬を止めずに聞いてください」
皆を先導する弁慶は、白い息を吐いて手綱を引く。
「この先に湖がありますから、氷の上を対岸まで走ってください。馬は陽動の為に使わせてもらいます。単純な罠なので雪が降ってあしあとが消えるまで、どうにか逃げ切ってくださいね」
枝がむき出しになった森の先に、拓けた雪原が見えてきた。凍った湖の上に雪が積もっている。
「弁慶はどうするんだ」
きっと九郎はそう聞いてくると思っていましたよ。
「雪が降り始めたら追いかけます。さぁ、行って下さい」
皆を急かすように興奮した声で言う弁慶に従って、全員が湖の氷上を駆ける。
「必ずだぞ!」
「えぇ」
その輝きに満ちた九郎の瞳を真っ直ぐに見つめた弁慶は、これが最後の嘘になることを実感して、満ち足りた気持ちだった。
駆けていく皆の背は、瞬く間に遠くなる
「―――」
九郎を守る為なんて偽善は、もうやめましょう。
僕の為ですよ。
僕が、九郎を守りたいんです。
僕がここに残ることで九郎が助かるなら、僕が盾になります。
九郎、悲しまないでください。
これは、僕がしたくてやったことですから。
敦盛くんに託した文が九郎の手元に届いた時には僕はもういないなんて、ちょっと格好良すぎですかね。
「………」
口元を緩めた弁慶は鉈を湖の氷に突き刺して割り、西へと馬を走らせる。
全員が乗ってきた馬を引き連れて、逃げているかのように、足早に。
景時がこれを罠だと気づいてくれればいいんですけど。