「いいえ」
即答する弁慶に、やっぱりねと彼はがっくりと頭を垂れた。
あそこでどんなに説明しても、九郎の理解を得るのは難しいと判断した結果だ。
僕が将臣くんを還内府だと言えば言うほどに九郎は将臣くんを庇うだろう。
それでは意味がない。
それにまだ、将臣くんが黒と決まったわけではない。
もしかしたら還内府ではないということも、有り得ない話ではないのだから。
あの日が来るまでは、そう思っていた。
将臣が頼朝の首を狙い、頼朝が九郎を殺せと景時に命じた、あの日が来るまでは。
「……将臣……お前が還内府だったのか…」
秋の宵の口、熊野であんなに仲の良かった二人は、なんとなく距離をとって短い休憩を過ごす。
「それはこっちのセリフだ。源九郎義経」
険悪な空気が流れ、しばしの沈黙が訪れる。
「………」
「………」
その沈黙を破ったのは将臣。
「昨日の敵は今日の友だ。天の青龍としてよろしくな。九郎」
将臣は持ち前の気さくさで九郎に笑顔を向け、右手を差し出すが、九郎はまだ割り切れないところがあるのか、きゅっと唇を結んで将臣と目を合わせないでいる。
「ま、しょーがねーか。背負ってるもんの重みが違うからな」
22年と3年、血と恩、宿命と運命。
将臣は行き場を失った右手を下げて、九郎に背を向ける。
「………」
「…先を急ぐぞ」
不意にリズ先生が皆に声をかけてくれたのがありがたかった。
道中、長かったせいもあってか、いつの間にか九郎は気さくな将臣と少しずつ打ち解けはじめていた
冬に移り変わろうとしている奥州・平泉。
雪こそまだ無いが、冷えた風が肌を刺す。
挨拶を済ませた一向は、思い思いに長旅の疲れを癒していた
「弁慶」
薬の整理をしていた弁慶に後ろから声がかかる。
「なんですか?」
気落ちした九郎の声に呼ばれた弁慶は、振り返らずに彼に問う。
「すまなかった」
「?」
すまなかった?一体何のことだろうかと弁慶が振り返ると、九郎はまるで声なき問いに答えるように口を開いた。
「おまえが、将臣を還内府だと言った時に、信じなかったことだ」
瞼を伏せて、本当に申し訳なさそうに俯く九郎が目に映る。
「あぁ、いいんですよ。九郎はきっと彼を疑うことは無いって、分かってましたから」
にっこりとやさしい笑顔を九郎に返して、何でもないことのように、再び薬の整理を始める。
「もっと詳しく話を聞いていれば違っていたのかもしれない
以前、よく話を聞いてもいないのに強く言ってしまった事を反省しているのだろう。
「………」
僕がいくら説明をしたところで、あの時のあなたは信じなかったでしょうね。
「そうかもしれませんが、今それを考えても仕方のないことでしょう?何か問題が起こっているわけでもありませんし、宿敵が消え、心強い味方が増えた。そうは考えられませんか?」
頼朝のこと、景時のことで落ち込んでいる九郎に、過去の些細なできことで悩んでいてほしくはない。
「あの時は、どうやって仲間に引き入れようかと考えていたんですよ。少し物騒な物言いだったかもしれませんが、あのくらいの心持ちでいるといったつもりだったんですけどね」
九郎には、将臣くんを討つと聞こえましたか。
弁慶の口はそう動く。
これは賭けだ。
あの時の言葉を、九郎が一字一句覚えているはずがない。
「…そう……だったかもしれない。だから弁慶はあの後何も言わなかったのだな」
「えぇ、きっと言い訳にしか聞こえないでしょうから」
やはり、はっきりとは覚えていないようですね。
よかった。
僕ははっきり言いましたよ。将臣くんが還内府であったなら、還内府として討つと。
「弁慶には敵わないな」
俺が考える必要もないほどに、否、俺がどんな考えに至るのか分かった上で、布石を置き、導いてくれる弁慶には。
「そんなことはありませんよ。九郎には統率力があります。それは僕には無いものですから、これでも羨ましいんですよ?」
苦笑する九郎に弁慶は微笑むと、九郎は照れたように口元を緩めた。
九郎には先を、未来を見ていてほしい
良い方向へと進むことだけを考えていてほしい。
「弁慶ばかりに無理をさせてはいけないな」
自分より何でも出来ると思っている弁慶に、羨ましいと言われたのが嬉しかった。
失ったものばかりだと思っていたが、まだやるべきことがある。
今は、仲間の為に何か出来ることがあるはずなんだ。
気合の入った九郎は、あの澄んだ瞳を取り戻していた。
「よし」
何が「よし」なのか、拳をきつく握り締め、長い髪を揺らして、駆けて行ってしまった。
「………」
面白い人ですね。