4章
ほとんど人のいない図書館の机ひとつを占領して、本を開いたまま読むわけでもなく考えていた。
忍のこと。
あの時生物室で見た忍は、自分に気づいていた。
だから今日、忍は玲の教室にやってきたのだ。
しかし心の準備ができていなかった玲は気づいた時には忍から逃げ出していた。
『玲!』
後ろから呼ばれた声が頭の中で反芻する。
なんで逃げ出したりなんかしたんだろう。
ちゃんと話をしなきゃと思っていたのに。
中学の時の忍と、部屋とか生物室で見た忍が、頭の中でぐるぐるして、どうしていいか分からなかった。
今は話がしたいというより、ただ謝りたい。
そう思っているのに体は忍の方へは動いてくれない。
もしかしたら本当はそう思ってないのかな。
そんなことない。
う〜〜〜〜。
しの先輩、僕はどうしたらいいんですか。
本を閉じて机の上に軽く放り投げて、机に肘をつくと、後ろから声が聞こえた。
「おい」
「わぁっごめんなさい!」
本を乱暴に扱ったことを注意されたのだと思って、急いで本を抱きかかえ、咄嗟に謝っていた。
「………忍の後輩か?」
微妙な間の後、彼は隣の椅子に手をかけて、玲の顔を確認する。
「へ?」
振り返ると、そこには赤い学年章の先輩が立っていた。
「浪川忍。知らないか?」
切れ長の細い目をさらに細めて再び聞く。
この声、この「忍」って言うこの声、聞いたことがある。
部屋にいた先輩だ。それから、この前ぶつかった先輩。
「知……ってます」
こんな人なんだぁ。もっと体育会系の人だと思ってた。
「忍とはもう会ったのか?」
名前も知らない人にいきなり聞かれてドキッとした。
「会ってないです」
脳裏によみがえる部室と生物室の出来事を消すように、玲はキッパリと言い放った。
「忍を探してるって聞いたけど、違うのか」
先輩は玲の心境など知るよしもない。が、玲にとってはかなり痛い質問攻めだ。
「探してますけど……」
部室で聞いてしまったことがバレてしまいそうで、どうしても言葉を濁してしまう。
「今日、会えなかったのか?」
こうやって掘り下げられるとものすごく困る。本当は何もかも知っているんじゃないかと思えるほど強い視線で先輩に見つめられる。
「今日……ですか」
絶対に知られては困る。
部室で聞いてしまったこともそうだけど、逃げてしまったことは。逃げた理由を追求されたら、言い訳できない。
「…………となり、いいか?」
先輩は今更というタイミングで、玲の隣の椅子に座る。
「………はぁ」
玲は、あまり話をしたくなかったので、座ってほしくなかった。
「お前誤魔化すの下手だな」
喉の奥で笑う先輩は、ようやく玲から視線を逸らしたが、見抜かれていたのが恥ずかしくて、玲は頬を赤くして俯く。
「…………」
その顔を再び先輩が覗き込んでくる。
「な、なんですか?」
玲は居心地が悪くてふいっと顔を背けると、先輩があの低い声で囁いた。
「……かわいいな、お前」
そんなに耳元で囁かれたわけでもないのに、玲は更に顔を真っ赤にして勢い良く本を置いて立ち上がった。
「―――っ!」
鞄を引っ掴んで逃げるように図書館を出て行く。その後姿を龍一は追うでもなく見ていた。
今まで玲が座っていたところには、一冊の本が置き去りになっていた。
借りたんじゃないのかと、一番後ろのページを捲ると、そこには貸し出しカードが入っていた。
玲の名前はない。借りたわけではないようだ。
ふとその貸し出しカードを引き抜いて見てみると『4/26 18HR 23 浪川忍』と書いてある。
それが最後の貸出人。
そして今日は4月26日。ちょうど一年前の今日忍が借りていった本だった。
大きな足音を立てて廊下をかけていた玲は、苦しくなって足を止める。
そんなに何分も走っていたわけでもないのに、心臓が胸から飛び出しそうだ。
かわいい、かわいいって……けっこうみんなに言われるけど、こんなにドキドキしたの初めてだ。
なんでだろう。
激しく拍動する胸を押さえて、廊下を歩いていく。
部室で聞いてしまった声と、さっきの声の両方を思い出して、また頬が熱くなる。
「はぁ……。帰ろ…」
今日はもう学校に居たくない気分だった。