3話
真新しい学生カバンを持って、廊下を歩く少年は、1年の校舎から2年の校舎の方へ歩いていく。
今日忍に会ってちゃんと話そうと心に決めて、後戻りできないように足早に歩く。
2年生の校舎の1階を素通りしてそのまま体育館の方へと向かった。
「あ、姫野」
呼ばれて顔を上げると、目の前には直樹がいた。
「う……」
玲はとっさに踵を返して駆け出していた。
「なっ、なんで逃げるんだよ――!」
逃げるものは追いたくなる。そんな本能があるのだろうか。
直樹は玲の背中を追って走り出す。
「!」
わぁ―――ん追いかけてくるよぉ。逃げなきゃ良かったぁ――!と、今更思ってももう遅い。
1年生の校舎にもどってすぐにある階段を上り、2年生の校舎へ。
渡り廊下をダッシュすると、すぐのところに特別室があった。
どこかの教室に逃げ込んだことに気づかれないように、そっとドアを開けて、部室の中に飛び込んで音を立てないように閉める。
飛び込んだのは生物室、の隣にある生物準備室であることにすぐに気がついた。
気持ち悪い瓶詰めの何かが棚に並んでいる。(正確には数点置いてあったものが玲の目に偶然留まっただけなのだが)
ひぃ―――やだぁ―――。
棚を見ないように目を伏せて、玲は逃げるように生物室へと繋がるドアへ向かう。
見つけたドアに縋るように開けると、机と椅子の並ぶ広い実験室、生物室だ。
ホ。と安堵の息をつく間もなく玲は先客を見つけた。
直樹ではない。
自分と同じ学生服を着た2人。
1人はこちらを向いて座っていて、制服のブレザーは着ていないしネクタイは首に掛かっているだけで、Yシャツの胸元は開いている。
もう1人は座っている生徒の前に立ち、腰を折って顔を近づけている。
玲は理解するまでに数秒かかりはしたが、その後もなぜか目が離せなかった。
目が離せない理由は少したってから気づく。
似ている。と、
座っている生徒は黒髪で前髪は目に掛かるくらいにの長さで、耳が隠れるくらいの横髪と後ろは肩にかからないくらいに短く切りそろえられている。
顔はしっかり見えないが、白い肌がほんのり赤く染まっている。
彼と目が合う。否、目が合ったというよりは、存在を認識された。
気まずさを感じたのは玲よりも黒髪の彼の方だったようで、すぐに顔をそらした。
廊下から大きな足音が聞こえてきた。
玲は直樹から逃げていたことに気づいてハッと我に返る。
これより少し前。
玲が生物室で2人を見るより前の、授業が終わった直後。
普段の真也は帰りだけは忍のところにも来ずに、すぐに支度をして帰っていくのに、今日は顔を隠したまま動かない。
顔を殴られたのが、それほどショックだったのだろう。
忍は心配になって教室の人数が少なくなるまで3分ほど待って、真也に声をかけた。
「真也……大丈夫?」
そっと肩を叩くと、真也は驚いたように首を竦めた。
「顔、痛い?」
知ってる限り真也には親しい友達はいないように思う。
こういう時でさえ、誰一人として声をかけてくれる人はいない。
まぁ、真也のウワサとそれに見合った行動を思えば、当然だと思うが。
真也は1年の時から美形狙いで男をとっかえひっかえしているらしい。
ただの同性愛者ならともかく、こんなやつと友達になりたいと思いもしない。どちらかというとみんな避けているようにも見える。
別にずっと避けていたわけではないが、今は自分が狙われていることくらいは分かっている。
こういう態度が罠だったとしても、巻き込んだのは俺だ。
俺が巻き込んで真也を傷つけた。
「…………」
顔を隠したままの真也の手をそっとつつんでやさしく撫でると、真也は先刻のように忍の手を振り払ったりはしなかった。
しばらくそうしていたが、忍は拒否されるのを覚悟で、真也の手に指をかける。
真也に拒否したり抵抗する素振りは見られない。
ずっと隠したままだったから、どんな具合なのかと思ったらなんてことはない。まだ少し赤い頬と、泣き腫らした瞼、それだけだ。
どちらかというと瞼の上の方が気になるほどで、忍は内心ほっとした。
「変な顔してる?」
また泣きそうな声で目を逸らす。いつもならこっちが目を逸らしたくなるくらいに見つめてくるのに。
「してないよ。ちょっとだけ赤くなってるけど」