2話
あの日から1週間が経つが、玲は2年生の校舎にも、剣道場にも行っていない。
しの先輩に合ってちゃんと話はしたい。あの時聞いてしまったことも伝えて、このわだかまりをどうにかしたい。
1年間離れていたけれど、しの先輩が今でも剣道を続けているなら、きっと1年前と変わっていないはずだし、しっかり向き合えると思う。
そう思っているのに、なんとなく行かないことで今は安定してしまっていた。
直接忍に会うのがこわい。
1年前とは別人になってしまっているかもしれない。
玲はこの前剣道部の部室では途中までしか聞いてないから、あの後どうなったのか分からないが、もし行き着くところまでいっていたらと思うと、しっかり向き合いたいと言った矢先だが、ちゃんと顔を合わせられないかもしれない。
毎日、今日は行ってみようかな。と思うのだがなんだか足は遠のいてしまう。
しかも内容が内容なだけに誰にも相談できないし、そこを言わないにしてもここには相談できる人もいない。
今日もまた、2年生の校舎にも行かず、剣道場にも行かずに帰ろうと靴箱を開ける。
茶色のローファーを出すと靴の上に小さな紙切れが乗っていた。
「?」
図書館横
書かれていたのはその、たった4文字。
玲はとりあえず行ってみようと思った。
とにかく忍のこと以外を考えたかっただけなのかもしれない。
ローファーに履き替えて、小さな紙切れを持って図書館に向かう。
若葉とまだ散り終わらない桜の花びらが入り混じっているのはあんまりきれいじゃないなぁなんて思う。
4月中旬にしては暖かい今日の風は、逆に生ぬるくて気持ち悪い。
強い風が玲の髪を靡かせ、頬を撫でる。
手に持っていた小さな紙切れはズボンのポケットに押し込んで、もう正面に見える図書館に向かう。
図書館の周りには木々が茂り、強い風で葉と葉が擦れ合い細波のように押し寄せる。
風が少し弱まったとき顔を上げると、図書館の入り口から少し離れたところに1人の学生が立っていた。
彼は、玲が彼に気づくずっと前から、玲が来ていることに気づいていたようだ。
彼の学年章の色は青。1年生だ。
顔は見たことある気がする。
けど、誰だろう。とか思っていると、彼は玲が自分のことを知らないのだと薄々感づいてか、まず名乗った。
「同じクラスの村山直樹だけど、覚えてる?」
確かに顔は見たことがある。
「えっと……うん」
玲は迷いながらも覚えていないとも言えなくはないから、一応頷いた。
「ま、いいや覚えて」
半ば無理矢理言われて、玲はわけも分からず頷いた。
同じクラスの人だし覚えとこう。ただそんな風に思っていた。
「……で、さあ。あの……」
今まで元気の良かった直樹はいきなり頬を赤く染めて口ごもる。
「……?」
玲は少し目線の高い直樹を僅かに上目遣いに見る。
直樹がちらりと玲を見るから、玲はとりあえず微笑んでみた。
「……そういう笑顔とか、かわいいなって思ってて……」
直樹は玲の顔を見ずにあちこち目線を泳がせている。
「…………てゆーか……ひと…め……ぼれ?て、カンジでぇ………その――……」
直樹の頬がみるみる赤くなって、自分の口元を覆って、少し考えているようだ。
これは……もしかして……コクハク?
ずっと黙って聞いていた玲の肩を直樹の大きな手が掴む。
「!?」
いきなり両肩を掴まれて、驚いた玲は思わず肩をすくめた。
その直後。
「もし良ければつ―――」
一週間前の放課後のことを不意に思い出した。
見てはいないのだが、その時玲が想像してしまった場面が、今の状況と酷似している。
「いやぁ―――!」
玲の手が直樹の顔に激突し、玲の肩を掴んでいた直樹の手から開放される。
その隙を突いて、玲は校舎の方へ駆け出した。
「―――待って!逃げるなよ!」
逃げれば追ってこないかと思ったが、直樹はなにやら叫びながら追いかけてくる。
「おい、ちょっと!今の他のヤツに言うなよ!?」
直樹の叫んでる声など耳に入らない玲は校舎の角を曲がって思いっきりダッシュするが、直樹はすぐに校舎の角を曲がって追いかけてきた。
「―――っ」
まだ追いかけてくるよぅ。もうつかれた…。あ〜〜〜足音が近づいてくる〜〜〜〜。いやぁ〜〜〜〜。
渡り廊下があるから段差で転ばないようにしないと。と、一瞬そっちに気をとられていると、ちょうど目の前に人が現れる。
止まるとか避けるとか、もうそれどころではない。
「!」
「―――!」
思いっきり顔からぶつかっていってしまった。
痛みよりも頭がくらくらする。
「おい大丈夫か?」
直樹の声がすぐ後ろで聞こえる。
「顔…………ぶった」
玲は顔を両手で覆って泣きそうな声を出す。
別に本人は泣きそうだったわけではないのだが、出た声はそんな声になってしまった。
「あ、す、すいません」
直樹の声が少し緊張した声になった。
ぶつかった相手が先輩か先生なのだろうか
「……いや、大丈夫か。1人で立てる?」
声がほぼ真上から聞こえてきて、そこでようやく玲はぶつかった人に抱えられるようにして支えてもらっているのに気がついた。
「は……い。大丈夫です」
玲が片手でそっと彼の胸を押して離れようとすると、背中を支えていた腕の力が緩んで玲を開放した。